蒼龍について |
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蒼龍は当初艦隊決戦を想定して15.5cm砲を前後に2基搭載した航空巡洋艦として設計されていましたが、紆余曲折の末に対空砲火と速力、搭載機数を優先した初の純正規空母として昭和12年(1937年)竣工しました。
各機関の構造や配置には鳳翔、赤城、加賀、龍驤で得たノウハウが生かされており、速力は空母中最速の34.9ノット。さらに滑走制止装置、飛行甲板埋込型起倒式クレーン、着艦指導灯、艦尾両舷張出型着艦標識、転落防止ネットといった標準的な航空艤装を最初に装備したのも蒼龍です。その完成度の高さから後に続く日本空母の雛形となりました。
その戦歴は華々しいものでした。
昭和13年(1938年)に龍驤と第2航空戦隊を編成して日中戦争に参加。翌年には竣工したばかりの飛龍が龍驤と交代で編入されて、お馴染みの姉妹艦ペアを組む事となりました。
昭和16年(1941年)になると第1〜5航戦からなる機動部隊が誕生。同年12月に日米開戦となって真珠湾攻撃に参加し、その岐路に2航戦のみでウェーク島を空襲しました。さらに昭和17年(1942年)にはアンボン島攻略作戦、ポートダーウィン空襲、セイロン沖海戦と連戦続きで、英米豪の艦船を見つけては片っ端から撃沈していきました。このとき蒼龍の江草隆繁少佐率いる艦爆隊の爆撃命中率は87%にも達していました。
最期の戦いとなったミッドウェイ海戦においては米急降下爆撃機からの命中弾3発を受けて大破炎上。半日ほどは浮いてましたが夕暮れ頃に沈没してその生涯を終えました。艦長の柳本大佐は艦と運命を共にし、この戦いにおける蒼龍の戦死者は718名でした。 |
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キットレビュー |
2007年現在WLシリーズ中リニューアルが遅れている空母キット群において、もっとも酷評を受けているのがアオシマの蒼龍です。
何がいけないかというと『この部分の考証が間違ってる』とかいうレベルではなく、パーツ全体が大味で、開発用の木型をそのままプラモデルにしたような雰囲気なのです。
ただこの蒼龍がリリースされたのは1971年。元々WLは机上を大海原に仕立てて艦隊を再現できるコレクションシリーズとして企画開発された製品なので、当時はこういう品質でも構わなかったのでしょう。1/700スケールでも細かく作り込むのが主流になった今の時代には酷なキットです。 |
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蒼龍はアオシマが現在発売しているWLのライナップの中で最もリニューアル化が待たれるキットの一つであり、実際ここ数年その噂がささやかれるようになっています。
※追記(2009/11/06)
ついにアオシマ1/700蒼龍が完全新金型でリニューアルされました!
最新の考証が盛り込まれただけでなくアクセサリーの高角砲や艦載機まで新しく作り直されており、あのダメキットと呼ばれた蒼龍が1/700空母模型の中で最もハイディテールな製品として生まれ変わったことに感無量です。専用エッチングパーツも同時発売。
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空母蒼龍 制作記 |
蒼龍は武勲多き人気艦なのにプラモでは不人気艦。
今のアオシマの流れでいくと、いずれリニューアルされるであろうこの昭和生まれの老キットに最後の花道を飾らせてあげるべく大手術に挑みました。蒼龍はやればできる子!
制作で使用したキットの部品は船体、飛行甲板、装備品リニューアルパーツのみで、あとはスクラッチビルド。しかもその船体と飛行甲板も芯として使った程度で、原型を留めないほどのモデファイを施しました。そこまでするくらいなら最初から高品質のピットロードのレジンキット作ればいいのにと思われるでしょうが、私としてはアオシマの蒼龍を作ることに意義があったのです。
一方どれだけ細かく作り込めるかという点においては、この作品で自分の限界を感じました。というのは制作の後半くらいから目が付いていかなくなり、ルーペなしではお手上げ状態だったのです(ついに俺にも老眼が来たか〜)。だから今後の艦船模型の制作では表現の方法に己の進化を探って行こうと思います。 |
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