空母機動部隊第一航空戦隊について |
昭和3年日本海軍に航空戦隊が組織され、当初索敵・先制攻撃などの補助兵力でしかなかった空母を集中配備して巨大な攻撃力とする運用法が思案されるようになります。そして昭和16年、世界に先駆けて第一航空艦隊(通称:機動部隊)が新設され、司令官に南雲忠一中将、参謀に源田実少佐が就きました。
機動部隊は空母集団を中心に高速戦艦、重巡と水雷戦隊からなる世界で初めての航空打撃力を主力とした艦隊で、第一航空戦隊(赤城・加賀)、第二航空戦隊(蒼龍・飛龍)、第三航空戦隊(鳳翔・瑞鳳)、第四航空戦隊(龍驤・春日丸)、第五航空戦隊(翔鶴・瑞鶴)の空母10隻で編成されていました。
空母は着艦が難しいので、その勤務には海軍でも生え抜きのパイロット達が集められましたが、中でも艦隊の旗艦である赤城と遼艦加賀の第一航空戦隊(通称:一航戦)は特に熟練度の高い精鋭揃いで、名実ともに海軍航空隊のエースでした。
太平洋戦争緒戦における破竹の快進撃が語るように、日本海軍空母機動部隊は紛れも無く当時世界最強の戦闘部隊で、それまでの戦艦群を主力とした世界の海上用兵思想を一変させました。ミッドウェイ海戦での壊滅まで太平洋からインド洋まで所狭しと暴れまくり、その凄まじい破壊力は連合国軍を驚愕させました。 |
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ジオラマについて |
完成した赤城と加賀の模型をペアで洋上ジオラマに仕立ててみました。というより最初からこのジオラマを作りたかったから赤城と加賀を作ったわけで。
思いついたのは99年の暮れ頃です。何か水モノジオラマが作りたくなって日本軍が華々しく破竹の快進撃を誇った戦争初期のものにしたいと思っていました。その結果真珠湾攻撃を始めとする栄光の南雲機動部隊のイメージが固まり、一航戦の赤城と加賀はそのエースであったにもかかわらずキットの古さからディテールアップが敬遠されてるようでしたので、それなら自分がやってみようということになりました。
元々総制作期間は半年の予定でスタートしたのですが、作っているうちに思い入れが強くなって改造がどんどんとエスカレートしたために完成までには二年半もかかってしまいました。しかし今回の模型制作で学んだスキルは実に多かったです。
おかげさまでこの作品が皆様からのお褒めの言葉が一番多く、IPMSなど海外のいくつかのサイトへもその母国語に翻訳転載されています。
■翻訳転載された海外サイト
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「空母機動部隊第一航空戦隊」ジオラマ制作記 |
赤城・加賀の制作はそれぞれのページをご覧ください。
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