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ベースと同じ寸法の紙を使って模型のレイアウトを考えます。で、決まったのが下の画像なんですが、史実のそれと比べるとかなりウソがあります。
というのは停泊時ならともかく、作戦行動中加賀は赤城の後ろにいたことが多く、平航したという艦隊陣営の記録は残っていません。そしてなにより戦闘艦同士がこれだけ接近して外洋を航行する事はまずあり得ないんですが、それを言い出したらジオラマの製作自体が破綻してしまいますのでその辺りは目をつぶります。
もう少し大きなベースを作ればレイアウトの自由度も増えるんですが、なんせ開戦時の連合艦隊全艦艇で1位と2位の大きさのフネですので、好き放題にすると置き場所の問題が・・・ジオラマにするなら二航戦のほうがやりやすかったですね。